昔の市ノ坪 (斜めのゴルフホール?その3)
初めにお断りしておきますが、今回は長いでーす。
先週掲載した、
1.「斜めのゴルフホール?」 (2.16)
2.「トマソン小路(斜めのゴルフホール?その2)」(2.23)
をお読みくださった方もおいでかと思います。(流れを知りたい方は、チェックしてください)

(これなんだろう)と載せた、排水溝の画像でしたが、わが先輩ケンイチさんに(松山ではない)きちんと推察していただいたので、それをPart2として載せました。

さらなるケンイチさんの考察に沿って、今回はPart3を展開します。
シリーズ化しちゃいましたよ、すばらしい!

Part2掲載後、ケンイチさんは「いい加減かもしれない情報を放置するのも気持ち悪いし、せっかくの機会なのでちょこっと調べてみました」と、こんなことを教えてくれました。

-------------(以下、ほぼ全文そのままに掲載します)-------------------

国土地理院から大正の頃の地図。
庚申堂に向かって上から下に水路のようなものがありますね。

さらに明治頃。
よく見ると、庚申堂に向かって下がってくる道路に沿って、水色の水路があります。
このころ、庚申堂の左から右に向かってくる道路は、まだないので、このあと作られたようです。

ということで、下の地図の水色で加筆した線には、かつて小川か水路があったようです。
この経路(左から右)は、水路ではなく、道路のような気もしますが、水路であれば、完全に埋設(ある程度深い位置の管)され、この埋設管への排水は、路側の各蓋から、それぞれ独立して、縦孔直結になっているのではないでしょうか。
Rikaさんの検証された経路とも重複していますね。
個人的に、すこしすっきり。

-------------------------------------------------
素晴らしい!緻密に調べていただいて、後輩冥利に尽きます o(*'o'*)o 
私たちって古地図部員でしたっけ?(注・弦楽部員)
自分のたわいない疑問に対して、ここまできちんと考察していただいた以上、後輩としてただ手を叩いているわけにはいきません。

というわけで、私も少し調べてみました。
庚申塔の辺りは、市ノ坪という地域です。
武蔵小杉駅近くで、東急東横線、東海道山陽新幹線、JR横須賀線、JR南武線の4本が交差するように走る、今では交通至便な場所です。
 
左は1896年の古地図(赤ポツが庚申塔付近)
左地図の白い線は道路、黒い線は主要用水路です。
黄色の太い道は国道409号(大師道)。古くから川崎大師への参道として使われてきた道です。

1830年に幕府に上程された『新篇武蔵風土記稿』(大日本地誌大系、雄山閣)の「巻之六十五:橘樹郡」に、市ノ坪村は「水損ノ患アリ」と紹介されています。

多摩川の氾濫でできた肥沃な沖積層から成る、古くから開けた土地ながら、水害の多い氾濫低地でした。
昔の多摩川はひどい暴れ川で、1800年から約70年間に、30回以上の大洪水が起こっています。

1km東を多摩川が流れるこの辺りは、昔はすぐ洪水になる地域でした。

多摩川が川崎市と大田区(東京)の境界ですが、明治期まで流域は流れによって変化し、川崎市側に荏原郡(現東京)が、大田区側に橘樹郡(現川崎)が入り込んだりしたそう。
今でも土地に多摩川の蛇行した形跡がみられます。

水害が起きやすく、河身も定まらないため、多摩川の水を利用することは大変困難で、干ばつが起こるたびに、住民は水不足に苦しんでいました。

江戸時代に人工用水路(二ヶ領用水)が作られ、水路沿いの地域では、新田開発が進みましたが、頻繁に洪水と渇水を繰り返す多摩川はニヶ領用水にも影響を及ぼし、流域での大きな水争いがしばしば発生したそうです。
首謀者が「江戸十里四方追放」となったほどの大騒動に発展したものもありました。

二ヶ領用水は、現在は改修工事により直線ですが、江戸時代は蛇行していました。
流域付近のくねくねと曲がっている小さな道は、たいがい用水路の跡だそうです。

現在のハザードマップを見ると、この辺りは浸水深0.5〜1m。
とりわけ水害がひどい地域ではありません。
一番危険な地域は、多摩川沿いの等々力スタジアムで、浸水深5〜6m。
避難場所になりそうなところが、一番危険とは。
(サッカー他、スポーツ観戦中でも、大雨の時にはすぐここから逃げましょう!)

おそらくは、この辺りは多摩川に近く、水害を受けやすいため、水はけの悪いところもあったのでしょう。
この道が用水路だった可能性は高く、何らかの理由で浸水しやすいため、その対策としてプラスチックの筒を埋め込んで、排水力を高めているのかもしれません。
大雨の時に様子を見に行ってみれば、道の様子がわかるんですけれどね〜。

国土地理院地図(赤ポツが庚申塔付近)
緑の道は二ヶ領用水から引かれた用水路

いろいろと調べていくと、知らないことがわかってくるので、おもしろくなってきます。
小学生の頃は隣駅に住んでおり、意味も知らないまま「にかりょうようすい」になじんでいましたが、これをきっかけに、その歴史について調べました。
もともとは、家康が作らせたんですね。
この辺りの川幅は細いため、一級河川だと知って驚きました。
前よりも身近になった気がするので、今年の桜の時に散策しようと思います!
(ここの桜はきれいなので、お勧めですよ〜)

ケンイチ兄さん、どうもありがとうございました!!
さすが、自慢の先輩です!!
土地の歴史考察っておもしろいですね〜。いろいろ調べてみたくなりました♪

<参考>
「多摩川最古の灌漑用水:二ヶ領用水」
「農業遺跡から見た川崎の発展」
「市民参加で「水文化都市川崎」の創造をめざして」
「二ヶ領用水取り入口に関する史的考察」
「二ヶ領用水フィールドワーク - ミツカン水の文化センター」
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