愛を伝える日3.11

東日本大震災が起こった3月11日から、今年で8年目。
いまだに余震が続いているということに驚きます。

 

あの日、千代田区駿河台ではげしい揺れに遭った私は、本気で(死ぬかもしれない)と思いました。

そしてさらに、すさまじい被害を受けた宮城沿岸の友人たちの安否が気がかりでなりませんでした。

 

押し寄せる津波から逃げようと、近所の人々が慌てて家を飛び出していく中で、お年寄りと小さな子供たちを抱える華奢な友人は、逃げるのは無理だとあきらめて、2階の一番奥の部屋に逃げ込んだそう。
牙をむいて襲いかかってきた黒い濁流はギリギリ家の手前で止まり、なんとか命拾いしたのだそう。

 

ほかの仲のいい友達も、それぞれに小さな子を守り、命からがら助かっていました。
災害後に元気に再会できたのは、たまたま運がよかったから。
あの時、死はあまりにも友人たちの近くにありました。
それきり会えなくなっていたかもしれないと思うと、ゾッとします。

 

 

あれから毎年、この日がやってくると「そっちどう?大きな揺れは来てない?ご家族の皆さんはお元気?」と聞いてきました。

でも今年はただシンプルに「元気でいてくれてありがとう。大好きよ」と伝えました。
結局、伝えたいのはそこです。

 

まだまだ日々の立て直しには長い時間がかかり、被災地にいるとつらい思いもたくさんすることでしょう。
せっかく津波からは逃げられたのに、その後の現実に絶望して自ら命を落とす人もいるといいます。

 

もう、あの時のような胸がつぶれる思いはたくさん。
一旦失いかけた友人たちを、再び失いたくはありません。
遠く離れた私にできるのは(あなたが必要だ)と知らせること。
これからも希望を持ち続けてくれるよう、ひたすら愛を伝えます。

 

 

バレンタインデーとホワイトデーの間に、一番真剣に愛を語る日ができました。
友よ、泣いても笑っても、がれきを超えて、一緒に生きていきましょう。

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恩師の高校教師卒業祝い

土曜日は、1年ぶりの高校のクラス会でした。
といっても、毎年やっているわけではありません。
去年は10年ぶりだったので、次も10年後かな…と思ったら、会の最後に担任の先生が、「来年は私が高校教師を卒業するので、お祝いしてね☆」と言われたのです。(もうちょっと控え目でしたが)

 

みんなが大好きな先生のリクエスト。もちろん集まりますよ〜!
かつて、ティーンズの私たちの高校卒業を、涙でお祝いしてくれた先生。
今度は私たちが、先生の高校教師卒業を、笑顔でお祝いする番です!

 


会の前には、みんな、仲良し同士で0次会をやったりしていました。
私は関内でロイヤルインド料理、別の友人グループは中華街で小籠包。
それぞれに元町の貸し切りパーティ会場に集合。
にぎやかな街の中から建物の上に上がると、一気に別空間になりました。

 

 

懐かしい面々が、続々とやってきます。
今回は、夜の時間の会場予約が取れず、夕方からの開始になりましたが、その分他県に住む人が日帰り出席しやすくなったので、結果オーライ。

 

 

窓から差し込む陽の光が、少しずつ移っていきます。
高校生のあの頃とかぶって、センチメンタルな気分になりました。

 

 

乾杯して思い出話に盛り上がった後は、みんなで大画面に映し出された動画に見入ります。
サッカー部部員が、高校サッカー決勝戦に進出した時の映像を持ってきてくれました。
すごいパス回しとシュート!誰もプロに行かなかったの?

 

 

続けて、先生が持参された、高校時代の私たちの映像も流れます。
文化祭に体育祭、合唱コンクールに修学旅行など、さまざまな時を過ごす当時の私たちが、映し出されました。

 

うわ〜、みんな、なつかしい。
白リボンをつけたポニーテール姿の私もいました。

 

 

修学旅行の夜の時間には、みんなで集まって、なにやら同じ動作をしています。
「これ、震源地ゲームやってるところね」と先生。
「どんなのだっけ?」とみんなでひそひそ。
すっかり忘れていましたが、久しぶりにやりたくなってうずうず。
幹事に頼んで、急きょやることにしました。

 

「さあ、みんな円になって!」
みんな、嫌がらずにやってくれるところが嬉しいわ〜。

 

 

先生の音頭で、鬼と震源地を決めて、あの時ぶりに再開します。
始めてすぐに思い出しました。これ、おもしろいやつ!
震源地からの指示で、まだ言葉を交わしていない11年ぶりの級友とバシバシ肩を叩き合うという、不思議な状況になったりして。
みんなノリノリで楽しみます。
大人数だからこそ盛り上がるゲーム。こういう時がチャンスです。

 

 

1次会が終了し、みんなで上着を羽織った時のこと。
「先生、クリーニングのタグが付いてるよ!」
スプリングコートの両袖に、ピンクの紙がついていました。
もう着てしまっているので、先生は上手に取れません。
「わー、取って、取って!」
ヘルプを受けて、女子たちが両袖に飛びつきます。

そんな変わらない先生が好きー💛

 

 

2次会へ向かう有志を見送り、今回の女幹事とカフェで新旧幹事のプチ打ち上げをして、帰りました。
久しぶりに会う同い年の友人たちは、いろいろと刺激になります。
次回、また笑顔で再会できますように!

 

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源氏物語は〇〇文学

これまで生きてきて、納得がいかないままになっており、忘れられずにいつまでも心に引っかかっていること、ありますよね。

久しぶりに、中1の時の歴史のテストを思い出しました。

 

それは「紫式部の『源氏物語』は平安時代の〇〇文学として有名である。空欄を埋めよ」という問題でした。
(これはもう、間違いなくこれでしょう)
と思いながら、「恋愛」と書き込みました。

 

中学生だったので(こんな言葉を回答に書くなんて、キャ、恥ずかしい☆)とドキドキしながら書いて、提出。

ところが、採点されて戻ってきたテストには、大きく×がついていました。

 

えっ、なぜ不正解なの? 世界最高の恋愛小説と言われる作品でしょう?
まったくもって、腑に落ちません。
先生の回答説明をじりじり待つと、正解は「長編」でした。

 

「『源氏物語』は平安時代の長編文学として有名である。」
たしかに教科書にはそう書いてありますが、でも内容はバリバリ恋愛ものですよ!

 

私、読んでいたから知っていたんです。大和和紀氏の『あさきゆめみし』だってあったもの。
だから自信満々で書いたのに〜!

 

大和和紀『あさきゆめみし』

 

憤然としましたが、社会の先生はちょっと怖いお爺さんで、12歳の私がディベートで勝てるはずもなく、加えてたとえテストの答えでも、恋愛の相談なんてできそうもない人だったので、ぐっとあきらめました。

 

残念だったのは、ここだけ点が取れずに、98点になったからです。
ああ、珍しく満点取れそうだったのに〜!

 

これがもし古文のテストだったのならば、国語の先生なら加点してくれたのではないかと思います。

また、教科書に書かれてあることしか、正解と認めないのならば、日本教育の偏狭さは由々しきものであります。

せめて△は欲しかった!

 

全否定されたというブロークンハートと憤慨のあまり、世紀が変わっても、平成が終わろうとする今でも、まだ覚えています。

 

ただ、今ふと気がつきました。
もしや、あの先生自身『源氏物語』を読んでいないから、恋愛文学ということに繋がらなかったのかも…!

 

そう思うと(なあんだ、しょうがないなあ)とゆとり気分になれます。
ああ、私のこの昭和の間に消化できなかった地縛霊のような思いも、いよいよ浄化されそうです。

 

そう、源氏物語は、ロング・ラブ・ストーリー。

訳の中では、先日お亡くなりになった橋本治氏版『窯変 源氏物語』が、斬新な切り口で気に入っています。

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北の国からの思い出

昨日の、アジアカップ観戦のためにお店を定休日にしちゃうワインバーの話から、思い出したことがあります。

 

 

かつて、北海道を夏休みに訪れ、大沼公園のペンションに泊まったときのこと。
宿のオーナーご夫婦から「今日は夕食時間が普段より早めなので、よろしくね」と言われました。
「私たちは今日の夜、部屋に引っ込んで『北の国から』を見ます。どっぷりひたりたいから、申し訳ないけど、その間は呼ばないでくれる?」と言われました。

『北の国から』が、そんなに道民に愛されているドラマとは。

すまなさそうながら、目が真剣だったので「は、はい」と答えました。

 

夕方、食堂に行くと、食事はテーブルに並んでいたものの、スタッフの姿はありません。
オーナーだけじゃなく、全員いないのかーい!

前もって話を聞いていたので、特に気にせず食事をいただきましたが、ペンションに泊まっていた外国人旅行者は、何が起こったのかわからない様子。
「オーナーたちは家の中にいるって聞いたけど、呼んじゃいけないのはナゼ?」

一から説明するのが大変でした。

 

 

外国人は「そんなに面白いんなら、そのドラマ見たい」と言い出し、食後、ダイニングでのTV鑑賞会になりました。

日本語オンリーだったため、「ナニナニ?」と質問され続けて、純君並みに苦労は続きます。
初めて見るドラマを英語で解説する難しさ〜。
純はいつまでも彼女にフラれ続けて、ドラマは永遠に続くんじゃないかと思いました。
純が唐十郎と一緒に入った海岸沿いの温泉のシーンでは「あそこどこにあるの?行きたい」と聞かれて「私も旅行者だから、北海道のこと知らないわ〜。明日オーナーに聞いてみて」と答えたことも思い出します。
今調べてみたら、羅臼町のセセキ温泉というところだそう。いつか行ってみたいなあ。

 

 

そんなわけで『北の国から〜2002遺言〜』は、旅先の北海道で英語で説明しながら見たというハードメモリー。

 

(そこまであのドラマを愛しているなんて、さすが道民!)と思いましたが、後で聞けばオーナーは地元出身ではなく、北海道に憧れて移住した人でした。だからこそとりわけ思い入れが深かったのかもしれませんが。

 

大沼公園は、あれきり訪れていません。
たしかペンションには、北海道の教員試験の面接を受けに来た帰りだという女性もいました。
彼女は無事合格したかなあ。思い返せば、懐かしさでいっぱいです。

ル〜ルル〜♬

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エブリディ・イズ・記念日

5月になりました。楽しい楽しいGWです。
ぱらぱらめくっていた雑誌の最後のページにあったカレンダーに目が留まりました。

 

 

今年の八十八夜は、5月2日なのね、と思います。
そのまま視線を移したら、6日の欄に「コロッケの日」とありました。

 

エッ?と思いましたが、5月6日だからコロッケ〜!

翌日は、5月7日で、粉もんの日〜!

さらに翌日は、5月8日で、ゴーヤの日〜!

 

気になって、月の後半もチェックしました。

だじゃれ、いえ語呂合わせでは、
5月18日のファイバー(植物繊維)の日、
5月27日のコマツナの日、
5月29日のこんにゃくの日。

 

みんな、よく考えますね。
語呂合わせの日、調べてみたらたくさんありました。

 

身近なところで、やっぱり自分の誕生日が気になります。
調べてみたら・・・マージャンの日でした!
8月1日で牌(パイ)だからだそうです。

それなら、タルトのパイの日にしてほしい〜。

 

さらに、月日を逆にした1月8日は、「イチかバチか」で勝負事の日なんだそう。

うーむ、どうもギャンブラーの星の元に生まれたような気がしてきました。

 

ところで、こうした記念日は、勝手に作ってよいわけではなく、日本記念日協会なる団体が管理しているそうです。
必要な手続きさえ踏んめば、記念日として認められるよう。(登録料がかかります)

 

 

たとえば今日5月1日は、フランスは好きな人にスズランを贈る、「スズランの日」。
ああ、今日のおフランスは、いつにも増してロマンチック。

 

 

日本はメーデーですが、記念日協会認定の記念日は
自転車ヘルメットの日
コインの日
鯉の日
恋がはじまる日
宅配ボックスの日
資格チャレンジの日
カリフォルニア・レーズンデー
釜飯の日
あずきの日
語彙の日(ごいの日)
水俣病啓発の日

なんだそうです。ありすぎて覚えられません。


「毎月22日はショートケーキの日」を超える頭のひねり具合はなかなかありませんが、ぞくぞくと新しい記念日が生まれているようですし、年間を通じて追っていくと、おもしろい発見がありそう。
なにか楽しいダジャレの日を思いついたら、申請してもいいかもしれません!
 

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なまず絵と要石、5年目
古事記研究家のお友達に教えてもらった、鯰絵。
なまず絵という浮世絵ジャンルがあるのを、これまで知りませんでした。


1855年に江戸で起きた安政の大地震の後に、一気に広まった錦絵だそうです。
メインとなるのは、鹿島大明神とナマズの絵柄。
これ、完全に和風「聖ゲオルギウスと龍」ですね。
 
モロー 『聖ゲオルギウスと竜』

鹿島神宮の森の中には要石があり、子供の頃に「地中にいて大地震を起こすナマズをこの石でおさえているのよ」と教えられました。
その当時は素直に(すごーい)と思いましたが、今思うと、なぜ鹿島の神様がナマズをおさえているんでしょう?
アマテラスオオミカミじゃ、だめなの?
タケミカヅチノカミは、とても強い神様なので、地中の暴れナマズを押さえる担当になったんでしょう。

鹿島神宮でいただいた要石守を、大切に持っています。
「鹿島神宮の要石守」(寺社blog・やまとサンクチュアリ)
裏面には「揺るぐとも よもや抜けじの要石 鹿島の神の あらむ限りは」という歌が刻まれています。

今日で、あの恐ろしい東日本大震災が起こってから、5年がたちました。
大切な家族を失い、故郷を遠く離れ、今なお不自由を強いられている人々がまだたくさんいます。
大地震と津波に原発問題が絡んで、時間のかかるややこしい問題となってしまいました。

今でも「太平洋岸一帯 大津波警報発令」という文字を見ただけで、反射的に総毛立ち、恐ろしさに泣きたくなります。
これはもう頭で考えるものではなく、皮膚感覚的なもの。
程度の差こそありはすれ、首都圏で地震に遭った人たちもまた、一人一人が被災者です。

あの災害がなければ、ずっと縁がなかったかもしれない言葉はいろいろあります。
「計画停電」・「輪番停電」・「閖上(ゆりあげ)地区」・「メルトダウン」・「たてや」・「マイクロシーベルト」・「セシウム」・「ガイガーカウンター」・「炉心溶融」・・・。
ついでに「ヤシマ作戦」も、この時に覚えました。

多かれ少なかれあの地震の恐ろしさを体感した東日本の人々は、正直、忘れようにも忘れられないと思います。
ただ、今なお幸せを取り戻せていない人々が大勢いることを、時折確認していかないと、復興はいつまでも進まないでしょう。
 

この絵、すごいですね。どれだけ大群衆が要石に願掛けしているんでしょう。
実際の要石は、こんなに大きくも立派でもありません。香取神宮にあるものも、見える部分はちょっとだけ。
絵師は実際に見ないまま描いたんじゃないかと思います。

自然の猛威を、人が完全に防ぐことはできません。
それでも江戸時代の人々のように、ささやかな祈りをささげることなら、誰にでもできます。
祈ることは、思い続けること。
要石守の冷たい石が温まるまで、普段よりも気持ちを込めて、握りしめました。
 
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若鮎の思い出
この時期になると和菓子屋さんで見かけるようになる、若鮎(夏鮎)が好きです。
中は透明の求肥。甘すぎず、冷たい麦茶にもよく合う味です。

鮎自体も好き。旅先の宿のいろりに串つきの鮎が焼かれていたりすると、とっても嬉しくなります。

厚木では、夏に「あつぎ鮎まつり」が行われます。この花火大会に誘わた時、「鮎って名前がついたお祭り?」と聞き直しました。
鮎って、魚の中でもイメージがいいですね。お菓子にもなっているくらいですからね。

私は、鮎というと思い出す人がいます。
小学生の時に同じ学年だった、あゆ子さんです。

小6で転校した学校にいた、おとなしくて真面目な子でした。
クラスが違ったので、全く交流はありませんでしたが、学年に2人だけの同じ名字同士だったので、覚えていたのです。

卒業式の日の夜、家の電話が鳴って、母が取りました。
「はい、そうです。え、ええ?ええと、違いますが・・・」
なぜか動揺している母。なんだろう?と思っていると、
「こちらこそ、どうもありがとうございました」
「きちんとお礼も申し上げずにすみません」
と、何度もお辞儀をしています。

電話が終わったあとで、「どうしたの?」と聞きました。
「小学校の校長先生からだったのよ」
「ええ〜っ!?」

ビックリです。
なぜまた、校長先生がうちに電話を?

「先生のお留守の時に ●さんが "大変すばらしい式でした" と、お電話をされたんですって。それで校長先生が "電話をくださったのはうちではありませんか?" とかけて来られたの」

それ、あゆ子さんのおうちだわー。

うちではなかったために、校長先生も母もばつがわるくなり、エンドレスなお礼の応酬になってしまったそうです。
「卒業式のお礼って、するものなのかしら」とつぶやく母。
いいのよ、お母さん。

仕方がありません。なんといっても私は転校生。
たった1年しかいない小学校には、みんなの1/6しか思い出がないのです。
お礼を言うとしたら、5年生までいた学校の方でしょう。

おそらく6年間通いつめたあゆ子さんは、本当に感激したので、校長先生に感謝の気持ちを伝えたんでしょうね。

だれも悪くない、けれど妙にもぞもぞした当時の思いが、「あゆ」という言葉でいつも蘇ります。

あゆ子さん、今ごろどうしているかしら〜。

あゆ子さんのあゆは、魚の鮎だとなぜか信じている私。
でも、あゆみさんという名前のあゆは、「歩」か「亜由」だろうと思っています。
きっと、あゆ子さんの静かできまじめな様子が、鮎のイメージと重なるからでしょう。

今回も、そんなことを思い返しながら、納涼に若鮎をいただきました。
あゆ子さーん。校長先生〜。清水の小学校〜。

ところで、若鮎に形が似ているバナナカステラも好きです。
季節感の風情はないけれど、一年中食べられるというメリットあり!
センチメンタルな思い出にひたることなく、ウキッキーと言いながら牛乳に合わせて食べていまーす。
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サリン事件から20年
今年で阪神・淡路大震災から20年。ということは、オウム・サリン事件からも20年経ったわけですね。
都心の地下鉄で大勢の乗客が突然苦しみ倒れ出し、人々がわけもわからずパニックに陥った、20年前の今日。
1995年は、日本の大都市がダメージを受けた、大変な一年でした。

学校の春休み中だった私は、春スキーをして東京方面へ戻る高速の上におり、ラジオニュースで事件を知りました。
初めは「原因不明ながら、数十名の乗客が体調不良を訴えています」と放送されて、「ん?」くらいで終わりましたが、ラジオ番組の合間にニュースが流れるたびに「体調不良を訴える人」の数が何百人、そして何千人とどんどん増加していくのは、完全に異常事態でした。

日本の首都では、とんでもないことが起こっているようだと、震えました。

異常事態が発生して鎮まる様子もない東京に向かっていくことが、とても怖く感じられました。
阪神・淡路が大変な被害を受けたので、いよいよ次は首都圏か・・・!と恐れたものです。
まさか一宗教のテロ攻撃だったとは思いもよりませんでした。

社会人になってから、都心通勤の先輩たちが体験したその時の恐怖感を聞き、「無差別テロは、本当に誰が被害にあっておかしくないものだ」と感じました。

ただでさえ巨大自然災害が多い国なんですから、人的被害は起こさないでほしいものですね。
20年とは長い年月ですが、事件は、大きすぎて、まだすべてが解決しきれていません。
でもあの日からずっと後遺症で苦しんでいる方は、大勢います。

日本人は協調心に富んでいるのは、襲いかかる自然災害を力を合わせて乗り越えてきたためではないかと思います。
なのに人間同士が攻撃しあったら、個々のサバイバル力は弱る一方。
しかもその悲劇の原因が、平和を説くべき宗教の一つだったなんて、世も末すぎます。
もう、あんな悲劇は起こらないでほしいものです。

日本人の日々の暮らしの中には神道や仏教が織り込まれていて、実は宗教は身近なものなのに、これが元で宗教は怪しいというイメージがついてしまったのも、寺社好きとしては残念なところ。

サリン事件追悼ではありませんが、3.11には、鎌倉の寺社で宗派を超えた「東日本大震災 復興祈願祭」が行われています。
会場は、その年ごとにお寺、神社、教会と変更し、今年は円覚寺で開催されました。
お坊さんの読経のほか、お寺に神主さんの祝詞と牧師さんの賛美歌が奉納されたそうです。
それぞれ信じる宗教が違っても、また無信心であっても、平和を願う気持ちは同じ。
縄張り争いをせずに協調していくことも、宗教のあるべき姿だと思います。
さまざまな形で、祈っていきたいです。
犠牲者の方々に、そして日本に、どうぞ平安を。
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4年たって
3月になり、ひな祭りが過ぎ、また11日がやってきました。
大震災が起こってから、今年でまる4年。
まだ起こったばかりのような気がしますが、もう4年もたったんですね。
福島原発はどうなっていくんでしょう。

今年は、TVのあるところにいなかったので、時間が来たら、ひとりで黙祷をしました。
ただ、一人でやっていると、サイレンの音とか「目を開けて下さい」というアナウンスかないため、いつまで続けていればいいのかわからないという落とし穴が!
早すぎるよりは長めにやろうと、かなり延々と黙祷を続けて、そのまま瞑想状態に入りそうになりました。

あれから毎年、この日が来ると、多賀城の友人と連絡を取り合います。
ずっと仲良しで、長く連絡を取り合わなくても気持ちが繋がっているから大丈夫と、前までは思っていました。

でも、4年前からは、連絡をしないとなんだか不安になってしまいます。
この日が近づくと、大切な友を喪うかもしれないと思ったあの時の絶望感が、ゆらりとよみがえるのです。

つまり、私の方が一方的に甘えているような感じ。被災地の友に、心理的に支えられています。
大変なことはまだまだ多いでしょうけれど、それでも前を向いてがんばっている彼女の近況を教えてもらい、ほっとして、自分も力をもらいます。
被災をしてから不平不満を一切言わず、感謝の言葉を口にして日々を過ごしている友のことを、本当に魂の美しい人だと尊敬しています。

そんな様子を知ったら、こちらもだらけていられませんね。

去年は、彼女と一緒に同窓会に参加して、久しぶりに同級生たちと会い、消息がつかめたので、これまでよりは落ち着いていられました。
不測事態の後で、人に会えるというのはありがたいことだなあと思います。

北陸新幹線も、問題なく華々しく開通してよかったです。
震災直後の九州新幹線開通は、祝賀できずにお気の毒でしたからね。

今年、残念なのは、松島のマリンピアが5月に閉館するというニュース。
施設の老朽化が理由で、代わりに仙台港の方に新しい水族館ができるそうですが、住んでいた頃には何度も行ったところだし、震災の時にもかなり打撃を受けながらもなんとか存続していたので。
世界最長寿だったマンボウのユウユウとか、なつかしいな〜。

今年の3.11前日に福岡を訪れた時、大宰府政庁跡と多賀城政庁跡が似ているなあと感じました。
そういえば、多賀城と大宰府は、どちらも奈良時代の朝廷の出先機関でしたね。
その縁で、太宰府市と多賀城市は友好都市だそうです。

太宰府天満宮に咲く飛梅の花を見て、東北にも春が向かっていくよう祈りました。
さあ、こちらもそろそろ、春の支度を始めましょう。
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ノーノー壁ドン
今年は「壁ドン」がはやりましたね〜。
流行語にもノミネートされました。
壁ドンは乙女の憧れ!!と、いまだに取り上げられています。
ティーンズときどき大人な方々が夢中で、壁ドンカフェも出来たそう
ダニエルくんまで期間限定で壁ドンをしていました。(キティちゃんはどうしたの?)
(画像はサンリオピューロランドから)

なぜそこまでみんな壁ドンされたいのー?
私、されたくない派です。
いままで、何度かされたことがあります。
ただそれは小中学生の頃で、相手は普通のクラスメイト。
教室内で「おい、逃げるなよ」とか「話を聞けよ」的に捕獲された感じで、かけらもロマンティックなシーンではありませんでした。
おそらく私がちょこまかしていたのでしょう。

流れは全然覚えていませんが、男子がなにか話をしたいのに、私がそれに気が付かずにいたので、壁ドンされたんじゃないかと思います。
教室の中っていつもざわついているし、ほかのことを考えていたりすると、わからなかったりして。

そのほか、めげている時に「大丈夫だ、元気出せ」と言い含めるように励ましてもらったこともありました。
そんな風にされたことがある人は、ほかにもいるのではないでしょうか。

ただ、とつぜんされる身としては、「こわい」の一言です。
壁ドンの時って、みんな笑いません。ちゃんとした話をしたい時なので、真面目な顔で見下されます。
いきなり距離を詰められるし、上から見られるし、逃げ場をふさがれているし。
男子と女子がけっこうツンケンし合っているお年ごろ。
さらも暴力的なところもある子供時代なので、(「うめぼし」されたらいやだ〜)、と思いました。
(うめぼしって、わかります?こめかみをぐりぐりすることです)
四捨五入10歳の男子の腕はそんなに長くないし、笑っていない顔がそばにあると、ちょっと近すぎ。
好きな男子ならいいのかな?と思いますが、初々しい10代の頃にそんなことになったら、予測不可能、対応不可能で、窒息しちゃいそう。

20代以降なら、男性の腕は伸びて、スペースが保てるのかしら?
それでも、昔のこわかった記憶が強いので、壁ドンはごめんです〜。
たとえそれが、気になる人だとしても、ちょっとあの距離感は緊張しすぎますね。。。
それならいっそ、ハグしてほしい〜!(笑)

殿方、女性の全員が壁ドンされて喜ぶわけではないですよ〜。
実行するときには、おびえさせないように、優しくソフティに、がいいと思います〜。
でも、荒々しい壁ドンをされたい、ワイルド志向の女性もいるかも・・・
ああ、人の好みって、難しい!
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